まろんのつれづれなるままに(60歳までには・・・)

子育て終了。60歳までにはすっきりした暮らしかつ人生の整理も・・・

携帯電話の充電代11「スローカーブを、もう一球」

私が高校3年の秋、高崎高校(通称高高)の春の甲子園が決まった。
そのとき「第二の国立」と言われ、世間で騒がれた。


私が高校2年生の夏、都立国立が甲子園に行った。
甲子園でも練習以外は参考書持参で勉強。「文武両道」
現役でひとり、ピッチャーはじめ一浪して4~5人東大に入る。




この文武両道が、福田・中曽根ふたり総理大臣を出した翌年の高崎高校と重なったのだ。


当時高高では405人中上位50番以内に入れば東大・京大・群大の医学部に入れると言われていた。


「うちの野球部は国立とは違う!」
口をそろえてみんな言う。
京大や医学部に行った子たちで部活をやっている子は、新聞部やブラバンの文系の部活動だ。
その前に、生徒たちも、野球部の子本人たちも、甲子園に行くとは思ってもいなかったろう。


たっぷり集まった寄付金は1回戦で敗れたためほとんど手つかずで、確か今でも奨学金として活用されていると聞く。
山際淳司の「スローカーブを、もう一球」でとうとう本になってしまったが、当人たちはどう思っているのだろう。


佐藤という苗字は多いので、名前が重なった別人かもしれない。
でももしキャプテン本人だったら、嘘に嘘を重ねて平然としている、過去の栄光を汚すような人物になり果てたと思うと残念でならない。



☆当人かどうか、原病院と銘仙の家・施設長佐藤誠司さま宛でメールしてみたが、両方とも回答はありませんでした。


追記 9月12日
母の件で会ったが、別人でしたね。
本人に「あなた同一人物?」
聞くまでもなく、見た目も話し方も違っていました。
高高の人とはみごとにに真逆でした。



次回は「嘘に嘘を重ねるとボロが出る」に・・・つづく  



☆実はこの「携帯電話の充電代」
6月7日に一気にここまで書き上げていたのを、小出しに出していたのです。
だから時差とともにズレが生じて、後付け・追記部分が多く出てきました。


6月7日に書いた分はココで終わり。
次回からは第二段、昨日書きました