まろんのつれづれなるままに(60歳までには・・・)

子育て終了。60歳までにはすっきりした暮らしかつ人生の整理も・・・

姑と義実家を断捨離!(わたしが喪主を辞めた理由1)

2004年1月、主人が亡くなった。


そのあと主人の物は、息子が着られそうな服以外はほとんど処分したが、



  最後に断捨離したのは「姑と義実家」だった。






2005年3月、わたしと息子はわたしの実家の姓に苗字を変えた。


主人が亡くなった1年2か月後のことである。


1番のタイミングは、息子が中学から高校に切り替わったこと。
ちょっと離れた私立校だったので、同級生で行く子は少なかった。


元々わたしは旧姓をペンネームとして投稿していたので、変えてもほとんど影響はなかった。
(木曽福島に2か所ある記念碑みたいなもんも旧姓で書かれている・・・わたしは表彰式に行かなかったので見たことないけど、ヤフーブログ時代、旅行が趣味のブロ友が写真を撮って掲載してくれた)


何度も嘘を付かれた義実家の「やるやる」財産は魅力がなくかつ実現性に乏しかったし、
誤解されやすい(主人の弁)という義母ともさっさと縁を切りたかった。
まあ、わたしに言わせば「誤解されやすい」ではなく、本人の人間性そのものだけどね。


また義実家の父系が癌の家系で、悪霊が付いて呪われているんじゃないか?と思われるように癌での病死が続いたこと。
義母は「そんなことはない、偶然」と言っていたけど、当時まだ生きている人も含め癌じゃない人が一人もいないとういのが偶然だろうか?


わたしもそうだが、マンボウくんも
「せめて苗字を変えて、悪縁を断ち切りたい」
という気持ちが強かった。
「でもマンボウくん、姓を変えても血は変えられないんだよ」・・・私の心の声


住んでる家の土地が私の実家の持ち物だったこと(わたしは長女)


当時、市役所で産休代理のアルバイトをしていて、
各課の職員たちにいろいろ教えてもらえたので、
手続きがスムーズだったこと。
(マンボウくんが未成年だったので、前橋の家庭裁判所にも行ったけど)


実は市役所に遺族年金の手続きに行ったら担当者から
「アナタまだ若いのに、遺族年金に胡坐をかいて、これからずっと働かないつもりか!」
と一喝され、その場でバイトが決まった経緯がある。


胡坐をかけるほど遺族年金は出ません!
特にマンボウが18歳になったらド~ンと減って、
はっきり言って生活保護の方がずっと多いくらいです。


☆携帯電話の充電代「銘仙の家」介護施設・・・の記事のように
ランダム週1掲載予定です。