ミス富山
「なんといっても富山のおばさんはミス富山だから」
親戚で集まって伯母の話が出るときは必ず付く枕詞。
あと1年で女学校卒業という時に、伯母の父親が病死。
大好きだった学校を泣く泣く中退した。
その後会社で事務の仕事をしていたら、秩父宮や高松宮などの宮様方が富山に訪れた際の接待役に選ばれた。
お茶を運んだり、お話相手。
お声をかけられたときは足が震え、ろくに返事もできなかったという。
富山に養蚕の指導に来ていた伯父(父の兄)と知り合い、結婚して満州に渡る。
帰ってくるときは遺骨を胸に抱き、ふたりの幼児の手を引いていた。
苦労して苦労して二人の子どもを育て上げ、90歳で大往生。
合掌。。。
当時の幼児のひとり、二回り年上の従姉がのたまう。
「大体その頃、ミス何とかなんてあったの?」
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。