わたしもココで死にたい
癌でも痛みの場合はお医者さんが何とかしてくれる
(当時はモルヒネとか・・・)
西群馬病院は、お医者さんも看護婦さんも最高の人たちだったが、
主人が肺・窒息状態のためどうしょうもなかった
最後は「殺してほしい」と懇願していたが、
それをやったら、いくら人情ある先生でも殺殺人罪だ!
緩和ケアのある病院だったので、死が近づいてきたときは、そこから先生が時々来て、
心のケアもしてくれた
真夜中でも来てくれた
緩和の先生は一人だったから、‘先生、いつ寝るの?’って思った
施設で‘看取り‘も最後は眠るような状態で、
「あら、いつの間にか死んでたわ」
ならいいが、父のように口を開けてうめき声で苦しんで死ぬのは嫌!
ちょっとコレ何とかなんないの?
看取りって体のいいほったらかしじゃないの!
わたしには、今回の母の死に方が一番理想
最後の最後は看取れなかったけどね
コロナがなかったら・・・
肺炎を起こしていたが、苦しまないように手を尽くしてくれた
(休みだったので担当医ではない)
最後に担当の先生に
「ああいうふうに(たぶん)苦しまずに亡くなるのが理想。この死に方が良い。
わたしもココで死にたい。先生、わたしのときもお願いね」
頼んだ
「嫌よ。そんなにいつまでもいないわよ。申し送りはしておくから」
陽子先生は72~3歳
年齢から普通に行ったら、私の時は無理だろうな。
この当時30前の隣の若奥さんが、陽子先生です。
ちなみに当時、私は高校生でした。。。
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