まろんのつれづれなるままに(60歳までには・・・)

子育て終了。60歳までにはすっきりした暮らしかつ人生の整理も・・・

病院で死ぬということ

9月10日、母が亡くなりました。


「このままだと妹に振り回されて、わたしまで殺されてしまう」
私よりちょっと年上の町内会の組長さん(女性)に訴えたら、
「とにかく落ち着いて。今はパニックになっているかもしれないけど、
あなたは書くことが得意だから、箇条書きでも言いたいことを書いて、
妹さんに見せたら」


時系列が前後しますが、少しずつ書きます。


20年くらい前に、主人は肺がんで亡くなりました。



最後、肺が癌でいっぱいになって、私に言わせると窒息死状態。


苦しんで、苦しんで、この死に方だけは絶体に嫌だ!っていう死に方だった。


口に酸素を当てて、周りをビニール壁で囲って酸素送り込んでも、
肺が受け付けない吸えない。



去年、銘仙の家で亡くなった父は‘見取り’
とかいう対応。
よく言えば、枯れたように自然に亡くなる・・・妹が契約したらしい


「危篤だから来てください」
銘仙の家の電話で言ったら、父は口を開けて荒い呼吸でとても苦しそう。


3時間くらいいたが、とても見てられない。


銘仙の人
「すぐ亡くなるかもしれないし、1週間後かもしれない」


メンタルやられて、部屋に居られる状況じゃない


「ちょっと外に出ていいですか?」


行った先は美容院。


シャンプーしてもらって、カットした。


落ち着いてきた。。。



母は木曜日の夕方に、状態が急激に悪くなったと連絡があった。


その前に午前中にサインをしに来たときは、そんな感じではなかった。


特別に病室に入れてもらったが、見た感じ悪いようには見えない。


でも数値が悪いいらしい


金曜日真夜中、「危篤です」
の電話を貰って飛んで行ったが、胸は上下しているが、口は開けてないし、
酸素は当てているが、わたしには苦しそうには見えなかった


顔も眠っているよう


胸が上下しているので、‘生きているよね’
がわかる


「持ち直すことはないですか?」


看護師さんは首を振る


「朝まではもたない」


とてもそうは見えない


父や主人とはあきらかに違った


コロナの関係で、わたししか病院には入れないのは、木曜日に説明され、
「危篤です」の最中でも言われた


でもコロナ対応でずっと病室にも居られない


「すみませんが、いったん帰ってください」


最後会えないとわかると、マンボウくんは布団をかぶって泣いている
彼はおばあちゃん子


あまりにもかわいそうなので、電話で夜勤の看護婦さんに頼んだ


規則破りは承知の上だ


看護師さんが困るのも承知の上だ


「私は外で待っています。息子だけ、息子だけ最後お願いします」


OKがでた


マンボウくんを乗せて、深夜25時、車を飛ばした。。。